世界を変えるって何なんだろうか?

例えば使い捨てひげ剃りが有る世界と無い世界(生涯で倹約出来る時間は計り知れないはず)。例えばスニーカーが有る世界と無い世界(とても気楽なスニーカーの与えてくれる開放的な気分は格別です)。例えば写真が有る世界と無い世界(視覚で記憶を残せる体験が無い世界は寂しい物かも知れません)。

グーグルの検索窓も、フェイスブックソーシャルグラフ(ウォールに可視化されているフィードがその表象ですね)も、アップルiPodのクリックホイールもいずれも日常の接点/外観はすごくさり気なく当たり前の存在です。でも、その与える影響と経済圏は非常に大きい物です。僕が考える世界を変える発明の実体はそういったさり気ない、けど大きな効果を持った物です。

そして、そういった発明の最初の発見はものすごく日常的な観察と洞察でしかリーチ出来ない体験の様な気がします。何か大掛かりな研究や検討がその発端になるとは余り思えません。そして、そのさり気なさの効用は明らかなものとして2点有ります。ひとつは利用者の生活への浸透しやすさです。大げさで大掛かりな物は日常生活にフィットし辛いですからね。
そして、もうひとつは、そういうさり気なさはそもそも潜在的に大きなマーケットを持っていると思われる事です。だって、日常気付かない程の汎用性はそれ程多くの接触機会や利用シーンを意味する訳ですから、小さな変化であれ非常に大きな効果を期待出来ます。

我々起業家が世界を変えると大言壮語していることの実際は、本当の所すごく日常的な観察、そしてそれの分析と検討、技術的な組み立て、開発と改善、パッケージングとマーケティングに還元出来ます。
そういった小さいな発明のもたらす大きな生活の変革をいかにイメージし、プロダクタイズし、マーケットに届けられるのか?実は非常に地道でオーソドックス(だけど限りなく創造的な)なプロセスだと言えます。


※画像はiPodのクリックホイールを使った電話装置のシミュレーション