次世代デジタルエクスペリエンスとは?

ダボス会議でマイケルアーリントンが次世代デジタルエクスペリエンスの座談会を司会した記事
メンバーはYouTubeFacebookMicrosoftAdobeなどおなじみのメンバー。語られているのは既にWeb2.0文脈の話ではなくモバイルインターネット体験へと軸足がシフトしている。それこそモバゲーやニコニコがここに出てくれば相当存在感があるだろうテーマであり、場所なのだけどもまったく無縁と言っていい。こういう時にはもすごくもったいない気分になります。単にそれは知られているのかどうか?あるいはネットワークがあるかどうか?(もっと言うと、知り合いかどうかだったり)だけのことなのですが。

さて、それはともかく次世代ウェブとは、単にウェブサービスがモバイルプラットフォームへと転換されることなのだろうか?恐らく話はそれほど簡単な事じゃないと思う。
たとえば電脳コイルを真面目に見直してみると、あそこで活躍している技術はロケーションベースのウェブやリアルタイムなAR/VRの相互運用とかだけでなく、パーソナルな情報をその場その時に交換共有するアドホックなPtoPネットワーキングやそれと繋がった様々なセンシングあるいはセンスした情報へのインタラクティブな働きかけなどが内包されている。ので、「世界は5台のコンピュータで事足りる」という有名な預言とは異なった、新しいパースペクティブが必要となる(筈だ)。

実は、Mac/iPod/iPhoneの環境だと、すでにiTunesをコアにサーバー→PC→モバイルの双方的なデータ、アプリの運用は兆し的なものとはいえ稼働していて、いろいろ面白いことができるようになっている。

サーバとの接続だけでなく、そこでDLしたデータを各デバイスに持って行ったり、別のデバイスのデータにアクセスしたり、そういうことがかなり自然にできるような環境がある。だからサーバークライアントという運用形式はそのような環境のある一側面にしか過ぎない。以前言われていた「アンビエントファインダビリティ」という概念をもっとモバイル寄りに拡張した感じというか(※デバイスからデバイスに対して検索やデータコピーをリクエストできるとか)。

果たしてそういったコンピューティングをどう呼ぶと良いのか?ユビイキタスという便利な言葉も、その実はオープンコラボレーション的なソーシャルウェブの要素は薄く、まだまだ個々人が個別にアクセスしているイメージからは余り脱却出来ていない。そういった意味では拡張現実という概念もビジュアル・インターフェイス的な要素技術の側面が強くて、協調動作的な側面とか、ソーシャル属性は希薄だ。

個人的にはエアコンピューティングとかアンビエントコンピューティングとか、そういった言葉が浮かぶのですけどどうでしょう?赤松先生は拡張現実(拡張された現実)ではなく現実拡張(現実を拡張する)という切り返しをされていて、なるほどその捉え方は面白い!と思ったり。「拡張現実が見える」(やって来る感じですかね?)。という言い方も確かに良いけのだけれど、現実を拡張するインターフェイス製品という捉え方だともっと能動的で、ユーザー・オリエンテッドな印象が強まる気がする。

とかなんとか適当なことを書き連ねているのも、講演原稿があがらない苦し紛れなのですけど!(自分の筆の遅さに絶望した!)ちなみにWikipediaの拡張現実コーナーが拡張されていて面白いですね。ガンダムサイコミュは究極のコンピューティングです)とか、レインなどへの言及もあって、実は日本人が従来空気のように呼吸してきたメディア体験(そしてサブカルチャー的な領域で言語化されて来た未来像にも)に既に萌芽があったのか?的な逆輸入的発見があります。

ちなみにこの間セカイカメラのデモムービーを撮影した際にモデルの神谷さやかさんが萌え萌えになっていたのは「セカイカメラで大好きなスタンドが所有出来る!」というポイント(現時点では、まだ期待感に過ぎないのですけど)でした(笑)。
これにはまったく同感で、「スタンド所有デバイス」という要素は本当に実現してみたい機能です。まぁ、町中のあちこちでスタンド出し合っているというのも凄いですけどね。「ジョジョ立ち」が日常光景になるという・・。そういう世界を早く見てみたい物です。


model: kamiya sayaka