散歩しながら考える新製品。

昨日のキックオフイベントで思い返した事なのですが、セカイカメラのそもそもの発想のトリガーは「クラウド上にあるデータを現実に映し出すカメラがあれば視覚体験そのものが大きく変革されるに違いない」と言う散歩中の思いつきでした。

若干余談ですが約160年の歴史を持つ光学式カメラのメカニズムは基本的な仕組みとしてはデジカメに進化を遂げた後もほぼ変わっていません。光学的にレンズが捉えたイメージをフィルムに焼き付けるのか、それともデジタルメモリーに蓄積するのか?の違いこそあれ、視覚イメージを光学的に捉えて定着すると言う点では全く同じです。
ところが現実空間にまつわる情報の網の目は日々顕著に増大していますしソーシャルネットワーキングはどんどん位置情報付きのLocal Graphに深化しつつ有る所ですから「現実空間をクラウドで強化するイメージ装置」は多くの制約はありながらも可能になっています(2008年時点では、正直まだまだ怪しかった訳ですが)。
つまり、光学式カメラのその先にあらゆる現実世界情報を目の前の現実に映し出す「視覚の拡張ができる」カメラは創意工夫次第で幾らでもデザインし得る。それこそ"カメラの再定義"を出来るチャンスが開かれています。

カメラの再定義って?

そういう視点で観るなら、Instagram は新しいカメラなのかも知れません。Instagram は組み込みのフィルターで非常に簡単に自分の写真を拡張(美化)してくれる。その結果、お互いが写真による創造性を通じて繋がり合える。または、その創造性を介して新しいタイプのコミュニケーションが出来る。そういうカメラだと言えます。
僕自身はFlickrヘビーユーザーなので、最初に Instagram を触った瞬間に「Flickrとどこが違うの?機能的にもすごくプアだし、ソーシャル性も低い!」と感じました。でも、使い続けると「フィルターでかっこ良くなった写真をシェアする体験は素晴らしい、毎日の視覚体験を楽しく彩ってくれる。クリエーティブな気分で楽しめる」ことを強く感じました。
ですから InstagramiPhone の機動力と操作性を活かす事でデスクトップで行われる写真共有とは異なる固有の価値軸を提供しているのです。それはつまり、「よりクリエーティブに写真撮影を通じたコミュニケーションが可能になる」カメラ体験を実現しているのだと思います。その場でフィルタリング出来るだけでこんなにカメラが拡張できるんですね(市販のデジカメの画像加工は非常に面倒だし、そもそもその場で友人とコミュニケーションなど出来ません)。

Instagram 対 Color

それに比べて(TCでも良く話題に上る)Colorの場合は「いったいどんな体験を拡張しているのか?」が分かり難い分、ストレートにその魅力を感じ辛く伝え辛いように思います。
ColorはいわゆるProximity(近接性)を用いて SocialGraph とは異なる情報のエンカウンターを体験出来ます。ただ、近接関係で視覚イメージを共有するという体験は日常的な感覚の延長線にすっぽり収まらないので、なかなかその価値観を味わうのは大変です。
とは言え、TwitterのTLみたいになかなか日常に説明し辛いメタファで素晴らしいソーシャル体験やコミュニケーションを実現している例もありますから、一概に「日常の延長に想像し辛いのでその価値を味わい辛い ... 」というダケで語り切れない面もあります。が、いずれにしろ(Twitter もその普及にはかなりの時間を要しましたね)そういった新規な体験性は最初広がるのに非常に苦労をしてしまいます。

ひとまず、全く新しい体験性をいきなり持ち込むより、むしろ既にあるよく知られたデバイスをソーシャル化する。あるいはクラウドに繋ぐ事でコミュニケーションが可能になる。などの思考方法で、いきなり新しい体験性に到達出来る。しかも、比較的容易にその新しい価値観に馴染むことができる。「ホニャララの再定義」にはそういう良さが有ります。皆さんもカメラの再定義に限らず、「ホニャララの再定義」を考えてみませんか?新製品を考えるときの発想法としては(アイデアの刺激と言う点でも)結構面白いと思いますし、クラウドソーシングやソーシャルグラフを簡単に接続出来てしまう現在、ちょっとした工夫の仕方で思いがけないヒット製品を実現出来る可能性があると思います。