AR Commons シンポジウム:イントロダクション:リベラルアーツとイノベーション:

本日ランチタイムにオランダの使節団と会食をしたのですが、いまや日本はAR先進国とも言えるポジションにあるのではないか?と強く感じました。ARはWebの次世代であり、それはこれから日本が世界向けて貢献可能な大いなるフロンティアであり、大いなるイノベーションの機会であると考えていいと思います。さて、ここではARの今迄ではなく、ARのこれからについてお話したいと思います(会場での討議では「逆黒船」的な言い方で説明していました)。

チャプター1:

僕は大学卒業の際に哲学論文をプログラムコードで書いて提出しようと思っていました。その原点には「世界は演算可能である」という直感的な確信があったからです。

世界の成り立ちをプログラマブルなものだと考える事、それはとても開放的で流動的な物の見方ではないかと思っています。今から考えると、それはあらゆるものがクラウド化するという今日的な言い回しに言い換えることが出来るかも知れません。

「Inforg」とは人がクラウド化した状態を指すのですが、世界はようやくそういう世界観を可能にしました。たとえばあらゆる書物が演算可能だとしたらどうでしょう?それぞれの書物の論理構造同士が足したり引いたり掛けたり割ったりできたらどうでしょう?

人のアイデアやイメージが、実は主観的に脳の中にすっぽり収まっているというよりは、相互に交換したり組み替えたりできるまるでレゴブロックのようなモノだと考えてみるのはどうでしょうか?それはつまりあらゆる出来事を「アンダーコンストランクション(建築中)」状態と看做す事です。

チャプター2:

拡張現実的な世界観はそういった演算可能な、プログラマブルな世界観と結びついています。

例えばセカイカメラエアタグは目前の現実に様々なコメントを可能にします。それは周囲の環境を、書き込みをほどこした本の様に読み書き可能にします。

僕達が住んでいる環境が「読み書き可能」になるというアイデア、これは恐らくモノの見え方を大きく切り替える切っ掛けになり得ます。
なぜならそれは(1)誰でも参加することができるし「=参加性の概念」(2)いつでも変化を取り入れられるし「=可変性の概念」(3)お互いが常に相互佐用できるからです「=対話性の概念」。

かつてネットワークは別々の部屋に分かれた者同士の遠隔通信のモデルを通じて語られました。それはやがてウェブの登場に伴って「蜘蛛の巣」的な網の目として再構成されたことは記憶に新しいです。2010年代にはそれらはリアルタイム性とソーシャル性を獲得して、よりライブでストリームするネットワークに成長を遂げています。

そして拡張現実的な新しいインターフェイスは、パースペクティブサーチと呼ばれる「自分自身の見渡す範囲を情報の網の目で包み込む様な環境」を、まだ未成熟とは言え、もたらしています。
それは「アンビエントストリーム」と呼ばれる「ソーシャルウェブが位置情報の変化に応じてライフストリーミングしていく」という新しいウェブ体験を形作りつつあると言えます。

チャプター3:

セカイカメラエアタグは本来「時間」「場所」「ヒト」のマトリックスで成り立っています。これを拡張していけばヒトの行動や記憶などをネットワーキングすることによって、ウェブの情報空間はやがて現実空間をデジタルな情報空間へと書き換えて行く事でしょう。

こうして産まれつつある新しいインターネットは、まさに世界の見え方を変えるであろう大きな動きです。それは、ちょうど百科事典や辞書がウィキペディアやグーグルへと大きく変貌を遂げて来た流れのさらなる進化です。

そこでは目に見える物は常に註釈をされ、定義を書き換えられ、新しい解釈や評価を与えられ、ダイナミックに視点や視野が変わって行くことでしょう。世界を「書き換え可能な書物」として再定義してみる、2010年代はそういったコンセプトを現実的に考慮しても良い時代ではないでしょうか?

 存在の基準(何かが存在するとはどういうことか)は、もはや物理的に不変かどうかではなくなった(古代ギリシャ人は、完全な存在といえるのは不変なものだけだと考えた)。認識可能かどうかでもない(近代哲学は、五感で認識できることが存在の条件だと主張した)。相互作用の可能性があるかどうかだ。つまり存在とは、相互作用が可能な状態のことであり、それがバーチャルのみの相互作用でも構わない。第四の革命(inforgの説明:第四の革命)

相互佐用こそが存在の証である。このアイデアは、書き換え可能で多様な世界観の共存をベースにした演算可能世界のことだと言えます。私がリベラルアーツ(人文科学)がテクノロジーイノベーションに必要だと考える根拠はここにあります。

チャプター4:

人のアイデアやイメージが世界にどう投影され、それらをどうプロセッシングして人の社会行動へ役立てて行くのか?世界を読み、解釈し、書き込み、お互いに影響を与え合う情報環境はどのようにデザインされるのか?

これは純粋なテクノロジーの課題というよりは、非常に人文科学的なアプローチではないか?と思うのです。つまりテクノロジーは社会とは不可分の存在へとなりつつあります。
それはスクリーンの向こう側からクラウドを経て現実の生活を書き換えつつあります。また、そういった新しい情報環境は社会的な変化をどんどん促進して行く筈です。

拡張現実インターフェイスのもたらす新しい社会像を考える時に、この様な視点を有効に活かせないか?と考えています。それはリベラルアーツ的な人間存在への洞察というものを当然の様に要請すると思います。今回の「2010年ARの旅」では、そういった視点をもって挑もうと思っています。なにとぞ、よろしくお願い致します。

以上のアーカイブは3月10日のAR Commonsイントロダクションのスピーチ原稿です。