アリーナの男

最近、雑誌の取材で改めて頓智・のTechCrunch 50への挑戦に関して詳しく訊かれることが多いのですが、シリコンバレー流儀のスタートアップ文化というのはやはりなかなか伝わり辛いと痛感します。
TC50には本当にスゴい連中が殺到して、その熱気と情報の密度は凄まじいですし、学べる事はその瞬間瞬間に矢継ぎ早に起こっています。まず、すごく印象的なこととして、「彼ら」は群れません。どんなビッグカンパニーのCEOでも単独行動が基本です。そして、その場でいきなり本題に入れるしその場で決定を下せます。
テクノロジーが世界を変えるという確信を、単なる“信念”ではなく“行動原理”として血肉化しているという感じがします。

ウェブのエコノミーを『市場原理主義の弊害』的な抽象論(自らがリアルに実践することのない事柄を意味も分からず批判する無駄)で考えるよりも、どういうアイデアで、どのように世界を変革出来るか?というプラクティカルな思考がベースです。
ファイナンスも株式市場も、ある意味ではそのためのツールでありプラットフォームであるということに過ぎないのです。日本人が自信喪失したまま、出口を探す為の議論に終始する間に(たとえ金融恐慌の最中でも)、彼らはどんどんイノベーションの機会を探り当てようと行動しています。

でも、そのような行動的楽観主義はシリコンバレーの特権なのか?と言えば、決してそんなことはないでしょう。アントレプレナーシップというのはそもそもそういう価値観なのだと思います。嘆いていても何も始まりません。可能なことを最大限の熱意と創意工夫でやり遂げる。そんなことがどこかのエリアの特権の筈は有りません。
下に引用するのはTCファウダーでTC50オーガナイザーのマイケルアーリントンが尊敬してやまないイスラエル人エンジェル投資家Yossi VardiがTC40で述べた言葉「アリーナの男」です。自分がやっていることに迷いがあったとき立ち戻る言葉として僕もときどき読み返しています。

批判はどうでもよい。つまり人がどれだけ強く躓いたか、行動力のある辣腕の人にやらせたらどこがもっとうまくできたか、粗探しはどうでもよい。
名誉はすべて、実際にアリーナに立つ男にある。その顔は汗と埃、血にまみれている。勇敢に戦い、失敗し、何度も何度もあと一歩で届かないことの繰り返しだ。
そんな男の手に名誉はある。なぜなら失敗と弱点のないところに努力はないからだ。ところが常に完璧を目指して現場で戦う人、偉大な熱狂を知る人、偉大な献身を知る人、価値ある志のためなら自分の身を粉にして厭わない人…結局最後に勝利の高みを極めるのは彼らなのだ。
最悪、失敗に終わっても少なくとも全力で挑戦しながらの敗北である。彼らの魂が眠る場所は、勝利も敗北も知らない冷たく臆病な魂と決して同じにはならない。

http://jp.techcrunch.com/archives/the-man-in-the-arena/