そしてセカイカメラ for iPad

iPadとは何なのか?それは、恐らく「今、そこにある未来」という言葉で表せます。iPadはいわばiPod Touchの大型判であり(ここに巨大なニーズがあることをアップルは早くに気付いていたのでしょう)、同時に次世代のiPhoneを指し示す先行モデル(既にiPhoneiPad nanoと呼び始めている人もいますし、その認識は正しいと思います)でもあります。

ただ、それらの「持続的な発展系」に留まらないポテンシャルがiPadにはあります。iPadは、言うまでもなくデビューの時点でiPad SDKを有しており、その独自機能へのアクセスを許容していますから、デベロッパー達はその製品リリースまでにiPadならではのアプリケーションを開発する猶予期間を与えられています。
この未来からやって来たデバイス上で動くアプリケーションを開発出来る自由を最初から獲得している事はデベロッパーにとっては素晴らしい福音ですし、それは提供者のAppleに取っても同様のこと。iPadがどういったキラーユースケースを今後育成して行くのか?の解法をアップルはサードパーティ達と存分に、いち早く分かち合えるのです。

iPadは開発者の想像力を刺激してやみません。それは透明なメディウムであり、情報空間へのアクセスを媒介する最低限の物理存在です。ハードウェアの存在感を消す方向で機能を研ぎすますコンセプトは初代のiPhoneから続いている禁欲性に貫かれていて、バッテリーやメモリーが交換出来ない点やドックコネクタ以外に外部インターフェイスを持たない点も、その禁欲的コンセプトの首尾一貫した姿勢の現れだと思われます。
さて、そこでセカイカメラfor iPadに関してなのですが、発表会当日の様子を(ビデオ経由で)体験して確信した事はひとつ。これは既に控えている『Sekai "No" Camera(カメラの無いセカイカメラ)』のコンセプトを体現する上で最高のデバイスになる!ということでした。詳しくはまだ述べられないのですが、iPod Touchで動作可能なセカイカメラへのニーズはセカイカメラ登場時からありましたし、それを真剣に考え続けて到達した製品アイデアiPadの登場で“最高の表現媒体”を得たと直感しました。

もちろんカメラセンサーの搭載されないiPadで、そのままARビジョン(エアタグのオーバーレイ)を実現することはできません。ただ、セカイカメラはVersion 2.0以降「セカイライフ」と言うソーシャルグラフビューアーを備えていますし、それがあることでエアタグを巡るソーシャルAR的なアクティビティはますます拡張しています。人がどこで何をして、そこから何を感じ、そして何を伝えたかったのか?をニア・リアルタイムに記録/把握できる環境が最新のセカイカメラなのです。
ARビューのユーザーインターフェイスを入り口にしながら、そこから誕生した空間的ソーシャルネットワーキングは新しいライフストリームの脈動を産み出しつつ有ります。ここから始まる新たなセカイカメラの利用スタイルは、iPadに搭載された時に「なるほど!」と、新しい驚きをもってお届け出来ると思います。

現在、革命的な出来事は非常に透明化していると感じます。これは音も無く静かに進行し、気がついた時には終わっています。iPhoneが起こしたモバイルインターネットに於ける変革はまさにそれでした(かつてのiPodの音楽流通革命もそうでしたね)。この変革をその登場時点に予測した人たちはほぼ存在しないでしょうし、特に米国で起こった通信キャリアの相対的退潮(それはCES2010会場から米国キャリアが消えた事からも明らかです)は本来歴史的な出来事の筈が“一瞬”と言っても良い時間単位で進行をしました。

iPadは、恐らく同じ様な速度と威力を発揮しながらも、多くの人たちにとっては「不可視の革命」を実現することになるのではないでしょうか?いままでノートPCやネットブックとは縁のなかった人たちが一気にiPadの世界に入って来たとき(iPad以外の類似品も、その受け皿になるかも知れませんが)、かつてIBMを打ち倒そうと海賊旗を掲げたApple1984年にスタートしたPC革命に続く二度目の革命を実現することになるのではないかと予感します。それはMacintosh誕生時のスローガン“for the rest of us”の第二章なのだろうと思います。