『ARのすべて-ケータイとネットを変える拡張現実 』が出ました。

Mashableというウェブマガジンで「7 Technologies Shaping the Future of Social Media ソーシャルメディアの未来を形作る7つのテクノロジーという記事があがっているのですが、そこでセカイカメラが取り上げられていました。

http://mashable.com/2009/06/01/social-media-future-tech/

That’s still not quite to the level of our hypothetical, but Tochindot’s Sekai Camera and Wikitude are making in-roads into rich and immersive ambient metadata, too. Their current goals revolve around tagging inanimate objects, but someday biometric face recognition could be used to attach metadata to real people.

昨日発売になったばかりの書籍『ARのすべて-ケータイとネットを変える拡張現実 』なのですが、改めて読み直してみました。そして現在はまだまだ社会的なインフラ構造やモバイルデバイス等のハードな部分との繋ぎ込みや擦り合わせがまだまだ大変な領域であること。
そして、クラウドコンピューティングに代表されるウェブプラットフォームの次世代系としての位置づけの獲得やキラー的な活用方法までは、まだまだ相当な距離感がありますね!という印象です(だから価値が無いという意味ではなく、むしろだからこそ読む価値があると言えそうです)。

日本は3Gケータイの高度情報サービスは既に当たり前で各種のビジネスモデルも(成功失敗含めて)よく研究されています。それに反して米国はiPhoneAndroid等に代表されるインターネットデバイスとしての携帯電話が盛り上がりつつある反面、モバイルビジネスの検証・研究はまだまだ不足しており、ビジネス・バリューチェーンの実装・構築としてはこれから!な感じです。
組み込みデバイスの先進性とモバイルビジネスの価値連鎖がリアルに存在する日本市場は、本来であればARインフラをウェブインフラの次世代系として、グローバルに輸出できる能力を有している筈なのです。

ところがこの革命の本質は(AR革命というのが、もしあるとすれば)ウェブプラットフォームの進化こそが最大の動因であり、最大の付加価値性を有しているので、ここ数年の間に日本はあっさり追い抜かれてしまうのではないでしょうか?
そう考えると、この本に書かれているような事例や考え方はむしろ(仮説とか研究ベースではなく、実際の産業領域としては)踏み越えられるものとして批判的に捉えられるべきとも言えます。
そういう意味では、ARという言葉はウェブがそうであったようにここしばらくの間に大きく書き変わってしまうでしょうし、数年後、TwitterGoogle Waveのような本格的ムーブメントになった時の新しいコンセプトとしてのAR(仮にRE:ARなんて言い方も良いかも知れません)こそが本命になるのではないでしょうか?

つまり、Google、eBay、facebookTwitterYouTubeなどに代表される「ウェブプラットフォーム上のキラーアプリ」と同等の広がりと奥行きに至るまでのしきい値キャズム)を超えられるかどうかの利用者オーダーは、現状のカスタマイズ前提、特定領域向け、デバイスやインフラなどの普遍化が未解決な現状のARの獲得可能なオーダーとは数桁、恐らく数万ではなく数億(だとすると四桁)違う様な気しています。
で、それを先行する為に残されている猶予期間はせいぜい長くて二年程度ではないかと感じています。