アップルの決算報告(テレフォンカンファレンス)の内容がCNETに掲載されています。

「従来の携帯電話市場の競争は、1つの音声電話を100の違った機種で製造することだ。しかし、ソフトウェアが携帯電話市場の差別化要因になっている現在、100の違った種類のものを開発者に提示するのは良いことではない。Appleのやり方はソフトウェアプラットフォームの会社としてのものであり、ほとんどのライバル会社のやり方とはかなり異なる」

これはiPhoneとgPhoneの違いを非常に明確に述べた非常に短いステートメントだと思われます。今日はアンドロイドについての数多くの言及がウェブ上で読めますし、その極めてオープンでフラットな試みが携帯電話業界に限らず、より広い裾野に向けた「変革」を予期させる事は確かです(マウンテンビューで対話したルービンもそのことを熱く語っていました....特にセットトップボックスには意欲的でした)。

で、その試みはiPhoneの進めている非常にシャープに研ぎすまされたエリート主義的方法論の対極にあり、かつて坂村健氏が「トロン」で実現しようとした(ただしトロンの場合はOS、GUI、アプリケーションに留まらず、組み込みチップなどのより底流までを含んだ環境構築を目指していた)ユビイキタス環境に繋がるものです。
そして、それは全体像としての裾野の広がりに対応する反面、個々のソリューションに於いては(自由の引き換えとしての)ルーズフィットを意味するでしょうから、ソフトウェア製品、特にルック・アンド・フィールが意味を持つ様な高度なコンシューマ商品(スマートフォンはその領域にあるでしょう)にとっては諸刃の刃となり得ます。

恐らくアンドロイドフォーンは多くのハードウェアバリエーションをもたらすでしょうから、それに応じたアプリケーションの組み替え(あるいはソフト対応表)を求めることになるでしょう。それは結局の所、統一されたプラットフォームの優位性に反するマイナス要因になると思われます。
また、ソフトとハードの親和性に於いて、まだまだG1が未完成であることは既に各所で指摘されている事です(もちろん、解決は時間の問題なのかも知れません。iPhoneも3Gによる熟成には1年以上掛かっています)。
理論的に優れたものが必ずしも優れたコンシューマー製品にはなり得ないことはよくあることですから、アンドロイドのオープン戦略がイコール「勝利の法則」とはならないだろうとは思います。でも、セカイカメラをアンドロイドに搭載するのはきっとものすごくエキサイティングなことですから、それは是非も無く進めます。必ず実装します。