南南西に進路を取れ!キックオフやります

11/10に渋谷でSXSW KickOff Partyをやります!2011の参加者、起業家、SXSWアジア事務局さん、TechWaveさんや各種メディア、インフルエンサーなど大勢参加する前代未聞のキックオフになります。
ATNDでも既に300名を越える応募を集めています。ぜひ、お越し下さい!あと、そこで行う「受付作業、道案内」などアルバイトの方々の応募を始めます!フェイスブックの「1000人で行くSXSW」グループに名乗りを上げて頂けると非常にあり難いです。特典は無料参加特典です!なにとぞ、よろしくお願い致します!

ちなみに、下は震災直後にSXSWで募金活動開始したとき、日本の頓智で何が出来るか!?テキサスから頓智メンバーに向けて書き送ったメール本文です。この思いはこの時から余り変わらず、、というか益々募っている気がします。セカイを変えるチャンス、それは誰かが造ってくれるんじゃなく自分で作るんじゃないでしょうか?SXSWに行きましょう!

とても重要な視点を、ありがとうございます。下に僕なりの意見を記します。実際、位置情報は別として、世界中からTwitterを使って、多くの素晴らしいメッセージが日本に向けて寄せられています。Twitterははやくに公式ハッシュをアナウンスしましたね。このあたりの配慮と行動は実に迅速で的確だと思いました。
また、僕らも Facebook を通じて、募金プロジェクトを伝達しています。これの有用性と効果は少なくとも募金を進めるうえでとても有用で、その手軽さと運用の簡単さは実に素晴らしいです。感心しています。

その他にも、 Ustream を用いた自家放送、Google の各種施策(人や場所を探す上での有効な手段の提供/カスタマイズは様々な被災状況で、限りなく多くの貢献に繋がっただろうと想像します)など、多くのエンパワーメントをもたらしてくれました。これらは改めてシリコンバレーのスタートアップが持っている「世界を変える力」の再確認もでありました。それは素朴に凄い!と思いますし、素直に尊敬をします。流石だな!!と思います。

その一方でセカイカメラの価値は何なのか?と言うことを自分なりに考えました(マイナス面はあとで挙げますね)。簡潔に言うと、「見えない物を見える様にする感覚」「その場にある想念を浮かび上がらせる驚き」「現実空間情報に直接触れるかの様な感触」といった独自のリアリティではないか?と思います。
それはむしろユーティリティと言うよりは、ある種のアートインスタレーションと言うべきではないか?と感じます(肯定的な意味かどうかは兎も角、そういう位置付けで観た方がしっくり来ます)。

以前、赤松さんがエアタグを東京からパリの間の上空に大きなベルト方式で並べて、それをアート表現にしようとした壮大なアイデアがありました。とても大きなビジョンでした。もちろん、実際には、位置情報データを空間に配置してライブビューに重ねているだけなのですが、あたかも地球をイメージで覆う様な感覚を伝えようとしていました。もちろんそれを現実に行うととんでもない天文学的オーダーのコストがかかる訳ですが、セカイカメラだと実に取るに足らないコストで簡単に実現出来ます。

ですから、世界の彼方此方からその場にメッセージを書き込んで、その復興や再出発を祈るという行為そのものは実用的なツールと言うよりは、ある種のアートプロジェクトではないか?と思います。そこで改めて感じるのですがアートの表現と言うのは実は大きな力を持っています。
ゲルニカがもたらした力を思い出して下さい。あの一枚の絵が、スペインの内戦に対して果たした影響は計り知れません。そうです。絵が日々の栄養や安全を提供することはまずありませんが、それを通じて人々の心を動かして、より良い、より美しい何かに人を突き動かす何かが存在しており、その力は決して侮れる物ではありません。震災に於けるセカイカメラの使いどころは、むしろそういった所ではないかと感じます。

ここオースティンでは様々な日本へのメッセージが生まれ、伝えようという努力が進められています。たとえばユニセフは子供の絵をホワイトボードに集めて、それを日本に伝えようとしています、日本を応援しようとする子供達の絵は心を打ちます。僕らのHelpSaveJapanProjectでも、募金をして下さった方々の笑顔をスナップしてフェイスブックのウォールに張り出しています。

これらの事がどの位被災地に良い影響を及ぼせるか分かりません。場合によっては、限りなく安全な場所で自己満足に浸っていると思われるかも知れません。でも、少なくともここではそういった所で躊躇するよりは、元気に、明るく、素朴な善意を形にしたいと思って、大勢の力がそれこそ驚く様な支援金を集める力になっています。黙ってうつむいていては全く出来ない様な支援の力を引き出しています。

ですので、もちろんバッテリーの消耗のダメージは周知をするべきでしょうし、利用環境が限られることも事実です。
ただ、その被災地の空間そのものにメッセージを届けられる。そしてそれがその場に浮かび上がって来る様な効果を与えられるといったある種のインスタレーションは、少なくとも視覚的な表現としてはとても効果的に被災地を応援していると言う状態を伝達出来るのだろうと想像できます。そしてそれはある種の自己表現であり、見方によっては宣伝がましい見え方もあるかも知れません。ですから、宣伝してやろう!と言う取り組みであってはならないと思います。

その一方で、世界からのメッセージが現地に届けられているビジュアルなプレゼンテーションをさらに世界に発信出来るという能力は表現としてはとても強い伝達が出来るのではないかと考えます。そういった視点で活用できるのであれば、セカイカメラを作った甲斐があると思いますし、その利用イメージがユーザーからわざわざ届けられたと言うことにも大きな感銘を受けます。

そういう前向きな、独特のメッセージ表現が出来ると言うことをセカイカメラのユーザーの方が気付いて下さったと言うことに大きな喜びを感じます(ちなみに僕はそのTwitter タイムラインをほぼリアルタイムに観ていまして、本当に感動しました。例えに有ったウルトラメッセージと言うのは、ウルトラマンエースとかウルトラマンタロウの世代かな?)。

1000人で行くSXSW2012展示者、参加者グループ
http://www.facebook.com/groups/229825107081054/

アプリケーションの新時代

2011年のアプリ環境を考えたとき、「一発ネタじゃない」「固有の体験性がある」「継続的な発展性がある」アプリが続々リリースされている事を強く感じます。かつてはスマートフォンアプリを開発する事そのものに意味があった時代があり、2009年頃であればネタさえ面白ければ、あるいは既にあるウェブサービスのリモコン的位置付けでも充分に価値がありました。
たとえばカメラアプリはかつて撮影と編集が機能の中心でした。それがInstagram以降は撮影体験にシェアリングの要素を加え、フィルタリングとコミュニケーションの結合した新しい体験性が人気を博し、その結果としてカメラアプリを入り口にしたソーシャルサービスが普及しました。
最近リリースされたばかりのBatchなどは、イベントを作成して参加者同士がそこでシェアをする体験性をうまくすくい取って、ソーシャルなシェアを現実体験に結びつけるユニークな製品価値を実現しています。My 365の場合は一日一枚をカレンダーに並べ、それをソーシャルにシェアすることで個々のユーザーの個性や価値観をお互いが伺い易くしています。これも固有の体験性と継続的発展性に繋がる製品価値と言えます。

日本のスタートアップはそういった競争環境で、ユニークな体験性や新しい関係性を発見創造する力を充分に持っていると思います。あとは、それをいかにグローバルな環境でも闘えるだけのスケールに成長出来るのか?そのための組織や資金をいかに準備して行くのか?のフェーズに差し掛かっている様に感じます。
そこで思うのはシリコンバレーのプレイヤー達が、例えばアップルだろうがグーグルだろうが、ある意味ゴールデンステートの教育機関を中心に人脈形成し、その底流で高度な協力関係を構築している事です。それは結果として、組織と資金の双方に大きな効果をもたらしています。

今回SXSWに向けて1000人のサムライが集結するというプロジェクトに向き合っているのは、ある意味急ごしらえとは言え日本のスタートアップが共に力を出し合い、限られた時間と空間で闘う機会をシェアすることに非常に期待をするからです。それがシリコンバレーの"場"が持つ力にどの程度拮抗出来るかはともかく、そういった土壌を形成するキッカケ程度でも良いので機能をすれば、本当に大きな意味が有ると考えるのです。

常識を捨てる。オリジナルの視点を持つ。それを鋭く貫き通す。

先週土曜には NOMDAD NEW'S BASE で開催された StartUp Dating イベントに参加して来ました。そこで幾つか素敵な製品に出会って来れたのでメモしておこうと思います。


まず、その一つ目は「Facematch」です。僕も少しだけお手伝いさせて頂いた Breakthrough Camp のベストに選出された製品ですが実際に触るのは初めて。でも、その利用導線/体験価値が非常にしっかりしていて驚きました。
顧客に訴求すべき付加価値が明確で、ユーザーシナリオが非常に良く練られていると感じました。なかでもUI/UXデザイナーが何回か交代して制作されたと言う体験性のデザインが秀逸で、ここまで操作性が優れていると同じコンセプトで開発したとしても、ひと味もふた味も違う製品になるなと思いました。チームとしての結束力とそれを牽引するリーダーシップが製品の背景に有るのかも知れません。

あと、もう一つは「SnapDish」です。これは一見グルメ系Instagramの外観で、そう受け止めた際には余り面白く有りませんでした。ところが、現実のコンテンツは主婦が家庭で手作りした手料理のスナップが中心で、ある意味手料理を軸にしたライフログなのですね。
ですから、目に飛び込んで来る料理写真がなんとも温かく、自然とそれを食べてくれる子供達の笑顔がこぼれてくる印象です。なるほど、同じ料理を扱っても、家庭料理をシェアすることで巻き起こるインタラクションはまるで異なるでしょうし、そのパーソナル性や共感の強さは独特の求心力を持っていると感じられます。非常に面白い製品でした。

ちょうど同じタイミングで「My 365」という「一日一枚の写真を公開して行くフォトログ形式のアプリ」を体験した時にも思ったのですが、モバイルアプリならではのエンゲージをうまく活かし、独自の価値軸でユーザーを巻き込んで行くタイプの製品がこうして出て来る事に、日本のスタートアップのある種の成熟を見る思いがします。

Facematchの場合の「気になる女の子との出会い」にしろ、SnapDishの「手料理を通じた共感共有」にしろ、My 365の「一日一枚の写真に想いを込めるフォトログ」にしろ、要するに固有の価値軸で何を軸足にするのか?何を出会いの切り口にするのか?どういうコンテキスト(情報の糸口、情報のつなぎ目)を追求するるのか?が、非常にシャープです。
そして、そのシャープさはアプリケーションに於ける価値軸の明確な仮説化を起点にしているのではないか?そして、そのシャープな仮説が有るからこそユーザーシナリオが明快であり、開発者と利用者の間に強い紐帯が生まれるのではないか?と思います。

何か価値を提供するには多くを捨て去らないと行けない、その1000のNOを言い続ける事、それは気まぐれなYES/NOではなく固有価値を追求するシャープな仮説が起点であるべきでしょう。
日常の生活感覚を切り換える固有の視点、新鮮な気付きが必要です。"小さい発見と発明"こそが大きな世界観の変革をもたらすのだろうと思います。

理想工場NEXT

先週金曜日のad:tech Tokyoで「理想工場NEXT」というセッションをやりました。これは電通の藤田さんやGCAサヴィアンの久保田さんと始めた実験的な試みです。
ソニー創業者の井深大盛田昭夫のような世界規模のアントレプレナーシップを実際に経験者から学びたい!という欲求がそもそもあり(僕がフェイスブックでそれを書いたら久保田さんと藤田さんにすぐにご賛同頂いたのでした)若手起業家で集まってソニーの理想工場の勉強会をしよう!と思いついたのが発端でした(理想工場とはソニー設立趣意書に述べられているキーワードです)。
それがあれよあれよと言う間に井深さんや盛田さんとお仕事された元ソニーの郡司さんや松本さんのご参加を頂き、勉強会も盛況でったので、それではその学びを元に次世代の理想工場をいかにして実現しようか?という話になりました。
実にいろいろなアイデアが出たのですが、最終的にやろうということになったのは「幸いにもスタートアップすることの出来たカンパニーが世界レベルの製品やチームを手に入れる機会づくり」でした。12月14日の初回ミーティングに向けて「製品とチームはあるけど、次のグローバルレベルに展開する段階に向けて模索している」 そんなカンパニーの公募を開始しました。ぜひ、エントリーしてみて下さい!

理想工場NEXT
http://www.facebook.com/risokojo?sk=wall

画像は ソニー共同創業者 盛田昭夫を讃えるスティージョブズ(1999年10月5日)です。

世界を変えるって何なんだろうか?

例えば使い捨てひげ剃りが有る世界と無い世界(生涯で倹約出来る時間は計り知れないはず)。例えばスニーカーが有る世界と無い世界(とても気楽なスニーカーの与えてくれる開放的な気分は格別です)。例えば写真が有る世界と無い世界(視覚で記憶を残せる体験が無い世界は寂しい物かも知れません)。

グーグルの検索窓も、フェイスブックソーシャルグラフ(ウォールに可視化されているフィードがその表象ですね)も、アップルiPodのクリックホイールもいずれも日常の接点/外観はすごくさり気なく当たり前の存在です。でも、その与える影響と経済圏は非常に大きい物です。僕が考える世界を変える発明の実体はそういったさり気ない、けど大きな効果を持った物です。

そして、そういった発明の最初の発見はものすごく日常的な観察と洞察でしかリーチ出来ない体験の様な気がします。何か大掛かりな研究や検討がその発端になるとは余り思えません。そして、そのさり気なさの効用は明らかなものとして2点有ります。ひとつは利用者の生活への浸透しやすさです。大げさで大掛かりな物は日常生活にフィットし辛いですからね。
そして、もうひとつは、そういうさり気なさはそもそも潜在的に大きなマーケットを持っていると思われる事です。だって、日常気付かない程の汎用性はそれ程多くの接触機会や利用シーンを意味する訳ですから、小さな変化であれ非常に大きな効果を期待出来ます。

我々起業家が世界を変えると大言壮語していることの実際は、本当の所すごく日常的な観察、そしてそれの分析と検討、技術的な組み立て、開発と改善、パッケージングとマーケティングに還元出来ます。
そういった小さいな発明のもたらす大きな生活の変革をいかにイメージし、プロダクタイズし、マーケットに届けられるのか?実は非常に地道でオーソドックス(だけど限りなく創造的な)なプロセスだと言えます。


※画像はiPodのクリックホイールを使った電話装置のシミュレーション

「あなただけの物語」の大きな効用


インキュベーションキャンプでの語り合いを通じて感じた気付きをもう一つ書いておこうと思います。それは「あなただけの物語」についてです。僕自身他人のピッチを聴く機会は非常に多いので自然とすごく響くピッチとそうじゃないピッチの歴然とした違いに意識的になってしまいます。「似た様な態度で似た様なストーリーなのにどこが違うのだろうか?」
そこで自分なりに考えた一つのポイントは「その人だけが強く語れるストーリーを抱えているかどうかの違い」でした。なかなか説明し辛いのですが、ピッチをしている際のその人の熱意、ストーリーの強度、そのピッチの与える影響力は「汎用的に流通しているトレンドに合致した物語」よりも「その人しか感じ取れなかったその人だけの体験を通じて生まれたストーリー」の方が圧倒的に高いと思うのです。「いや、そんなの当たり前でしょう」と思った方、意外とこれは簡単そうで難しいです!「いや、そんな個人的な物語に耳を傾ける人はいないしビジネスのスケール感が小さく縮こまっちゃうでしょう」と思った方、意外とそうでもないです。

まず、「そんなの当たり前だ!」への反論ですが、例えばインスタグラムの場合は「開発者が自分の猫を魅力的に撮影して他人に見せたかった!」なんていう物語に本当に(ビジネスパーソンとして)共感出来ますか?インスタグラムは非常に成功した製品ですから、案外「なるほど!」と思われるかも知れませんがノーネームで「自分の飼い猫を最高に素敵に伝えられるとハッピーなんだ!」とピッチされて本気で賛同出来るでしょうか?
それでも、一方で実際にインスタグラムを使っていると、その開発意図は非常に良い形で製品機能や製品固有の体験性に結実している様に感じます(それは定量的には測定困難ですが結果として製品成功のコア競争力になっていると思います)。 ですから、開発者はその初心に有ったコダワリを本当に形にした訳ですね。

そして、「そんなのオカシイ!馬鹿げている」への反論ですが、皆さんが覚えていらっしゃる成功したアントレプレナーの物語をよく思い返して下さい。そこには当然共通項や同じと思えるコア部分が洞察可能だったとしても、恐らく、それぞれはそれぞれの起業家の固有の物語の筈です。「ペッツのコレクションを処分したくてネットオークションを始めたeBayのファウンダー」とか分かり易いですよね。長距離電話をタダで掛けるブルーボックスで電話をハックしていたずらしていたジョブズのストーリーなど彼の起業家精神のコアに迫るものかも知れません。

ある時、ウォズの母親からもらった「エスクァイア」誌1971年10月号に掲載されていたブルー・ボックスと呼ばれる装置を使って、無料で長距離電話をかけるというフリーキング(不正行為)の記事を読んだ2人は、スタンフォード大学の図書館に入り込み、AT&T(ベル社)の技術資料を見つけ出して、自分たちでオリジナルのブルー・ボックスを作り上げた。2人は、この装置で長距離電話をかけまくったという。ウォズは、この装置を作ったことで満足したが、ジョブズは、当時ウォズの通っていたカリフォルニア大学バークレー校の寮で、1台100ドルから150ドルで売りさばいていた。装置自体は1台40ドル程度で、大いにもうかったようだが、そのうち銃で脅されるような状態になり、身の危険すら感じたジョブズは、一切の販売を止めてしまう。via Wikipedia Japan

つまり、何が言いたいかと言うと、「あなたがあなたしか語れない物語を磨こう!他人の物語を気にする事無く」って事です。
どうしてもそれをやりたくて起業しても資金を獲得する切羽詰まった状況で、本当にあなただけのパーソナルな物語を振りかざすには相当な覚悟が必要です。いきなり「それが何なの?」と言われそうですし、「流行に乗ってないね、しかもスケールしそうに思えない」って言われたら辛いですよね。
でも、実は、その「あなただけの物語」こそが最終的に製品を通じてユーザーと、ひいては投資家を動かし、あなたの事業を成功に導く最大の競争力の源泉になるんじゃないか?と、僕は思っています。それが「飼い猫を美しく撮ること」でも「自分のペッツを気軽に処分すこと」でも「電話線をハックして長距離電話を好き勝手掛けられること(あるいは大統領と偽っていたずら電話をかける事)」でも、いずれにしても「あなたしか強く感じられなかった何か」を確実につかみ取っている筈です。
また、仮に"同じ物語"の所有者がいても、さらに深く掘り下げ、自分なりに考え抜いた方法論で、より優れた製品を開発しよう!と言う強い動機付けが有れば勝機は有るのではないかと思います。
ビジネス書で当たり前に語られる「全く誰の物でもない架空の他人のストーリー」に付き合うより数万倍生産的でやり甲斐が有ります。

名刺交換の弊害

先日、インキュベーションキャンプと言うスタートアップ向けのイベントでのクローズドパーティで講演した時、ひとつ気付いたことがありました。それは「名刺交換の弊害」です。
名刺交換は言うまでもなく日本のビジネスシーンでは欠かせない儀式です。そこでの差し出し方、受け取り方、そこで交わされるやりとり内容はビジネスパーソン同士の出会いのプロセスとして非常に重要視されています。でも、その前提としては「会社 対 会社」の「肩書きと地位」を「形式的に交換」し、「その後の取引に活用」するという暗黙の合意があります。

ただ、そこには大きな見落としが有ります。なぜならスタートアップの場合は「会社対会社」ではなく、あくまで「個人対個人」の出会いで有り、「肩書きや地位」ではなく「その人のパッションやミッション」が大切で有り、「その後」ではなく「その瞬間」からディールが始まっているのですから。
ですから、"名刺交換と言う形式"に甘んじる事で、「人と人」が「信念や責務」をその場でシェアし、「その瞬間やれることを」闊達に即語り合うという大事なプロセスを疎外してしまっているのではないか?と思うのです。

例えばベイエリアのカンファレンスなどでよくある出会いのプロセスではその場で「アイコンタクト」し、「お互いの所信や方向性」を明かし、その場で「お互いが取り組めそうなアクション」を語り合います。その間はほんの数分なのですが、日本企業的な「名刺交換し、その後アポイントを入れ、そのアポイントの機会でもまだ具体的なアクションに関しては余り話題が及ばず、何回かの会合を経てようやく方向付けやアクション内容を固めるのだけど、契約を交わすまでにはまだまだ数段のプロセスが必要」、という流れを圧倒的に圧縮可能なプロセスでもあります。

例えば「頓智の井口です。拡張現実で世界の見え方を変えようとしています」→「なるほど、僕らはロケーション情報を起点にしたレコメンドで特にエンタメ情報のパーソナライズを懸命にやってるんだ」→「面白いですね。頓智ではソーシャルな出会いを可視化する為のサービスパートナーを捜しています」→「我々は、モバイルで新しいインターフェイスを用いたソーシャルネットワークに大きな可能性を感じている。僕らのレコメンデーションエンジンを用いれば、あなたのサービスに豊かな体験性を付加出来るに違いない」→「素晴らしい!じゃあ、技術的課題に付いて早速来週ミーティングを持ちましょう」、、みたいな流れが相当な頻度で発生します。

どうでしょうか?恐らく、多くのスタートアップ起業家は少なからずグローバルな製品をシリコンバレーのプレイヤーとの競争にも負けない速度感や規模感で普及させたいと言う意欲を持っているのではないでしょうか?ところが、名刺交換と言う旧い慣習に囚われる事で多くの好機を逸しているのかもしれません。

あるいは、名刺交換と言うプロセスにハマってしまう事で、行動規範的にも非常に旧態以前な価値観や鈍感さにまみれているのかも知れません。今やソーシャルネットワークの普及により、名刺交換を使ったネットワーク管理を僕らは必要としていません。いっそ、名刺交換の慣習を排除して「その場でアイコンタクトし、その場でコミュニケーションし、その場でディールする」ことを当たり前にしてしまいませんか?